種を蒔く料理船山義規

「さりげない野菜」
豚と畑菜のぐるぐる焼きと長崎ジューシー大根

数年前にシチリアへ旅をしたとき、ちょうど日本でいうお盆の時期に重なった。
下町の一角にさまざまな屋台料理がひしめき合い、肉焼きの匂いと煙がもうもうと立ち込めていた。「マンジャ・エ・ベーヴィ(食べて飲め!の意味)」はネギやイタリアンパセリに豚バラ肉を巻いたもの。
野菜と肉の旨味が混じり合った熱々を頬張り、ワインやビールでさっと流し込むように食べる。あの味を思い出しながら料理した。

風味を逃さぬようにジューシーに蒸し煮した畑菜を、たたいて広げた豚肉にのせてぐるぐると巻く。低温でゆっくり下茹でした長崎大根と合わせて、茹で汁ごとオーブンで焼いた。じわじわと蒸し焼きされることで、畑菜と長崎大根は肉の脂や旨味をたっぷりと吸う。滲み出た焼き汁に、ビネガーと搾ったレモンを加えて、煮詰めて完成。

自宅には、友人である双子のアーティストHAMADARAKAの作品がたくさん飾ってある。キャンバスに、食器に、モロッコのビルの壁面に、双子たちは何にでも描く。誕生日にもらったレモンおじさんの皿にシチリアの太陽を思いながら、盛り付けた。レモンは義母の庭から送られてきたもの。

岩崎さんは、どこにでもあるような、さりげなく生きてあまり人から見向きもされない野菜のことを、「さりげない野菜」と呼ぶ。さりげない野菜には、在来種にしかない繊細さと個性がある。土手や道端にこぼれ種となってその場所に生き残って暮らしている、野良猫みたいな野菜だね、と岩崎さんは笑っていた。


料理
船山義規
HAMADARAKA
有園絵夢・有園絵瑠)
写真
安彦幸枝
船山義規

船山義規
得意分野は世界各国の郷土料理、特にヨーロッパ。「テロワールを媒介にした各土地に根付いた料理・多様な文化が混交した料理」の修行を重ね、現在、日本各地で様々な農法を営む生産者との交流を通じて本物の食材ありきの料理を追及中。

選んだ野菜

長崎大根

4年前、岩崎さんのもとに7本の大根が届いた。

岩崎さんはその大根を畑に植えて花を咲かせ、種を採った。そしてその翌年気に入ったものを選び、数を増やしは畑に植えて種を採った。

それは長崎市内で長きにわたって自家採種された名無しの大根。岩崎さんが駆け出しのころからのお客さんだった方が大事に育てていた大根だ。その方が亡くなってからも菜園の中でこぼれ種で生き残ってきたが、さすがに数年で残り何本かになり奥様が「このままではお父さんの大根が消えてしまう」と岩崎さんに連絡をして、岩崎さんのもとに届いたのだった。

たとえ名無しの大根だとしても長きにわたって長崎の風土の中で自家採種を続けられたことは岩崎さんにとって大きな意味をもつ。白首系の大根で「私が子どもの頃、父が栽培していた大倉大根、理想大根、練馬大根、高倉大根に繋がっているのでは・・・」と岩崎さん。小さい頃、岩崎さんのお祖母さんが育てていた白首大根の記憶が蘇る。食べ物が少なかった時代、冬場の白首大根は大切な食材だったという。

煮るとじんわりと甘く地味深いその大根を、岩崎さんは守り継いできた長崎市内のお客さんに敬意を表して「長崎大根」と名付けた。

畑菜

岩崎さんが「さりげない野菜」と呼ぶ在来種の漬け菜たち。その「さりげない」代表のような野菜がこの畑菜である。京都の長沢さんの門外不出の種を岩崎さんが受け継ぎ、20年以上、自家採種を続けている。今では岩崎さん曰く「完全に雲仙畑菜」というぐらい雲仙の風土に馴染んでいる。

もともと京都の伏見区や左京区で栽培されている希少種で「雪菜」や「冬菜」「ツケナ」という別名でも親しまれ、採油を目的として古くから栽培されてきた。上品な味が特徴で、甘味と苦味のバランスが絶妙。炒めても和えても美味しい。畑菜の歴史は古く元禄10年に刊行された農業についての書物にも名前が記されていた。2月の初午の日に「畑菜の辛子和え」を食べる風習が京都に残っている。

この畑菜だけでなく、しゃくし菜、松ヶ崎浮菜、山東菜、壬生菜、福立菜、のらぼう菜など、岩崎さんの冬の菜園には様々な在来種が守られている。スーパーに並ぶこともなく、作り手も減少。今まさに失われゆく「さりげない野菜」。一つ一つ個性があり、深い味わいがあるこれらが地域の中で守られ、その地の食文化として生かされていくことを、岩崎さんは夢見ている。

種を蒔く料理

江口研一food+things)

器 ‖松本かおる
写真‖在本彌生

北嶋竜樹neutral)

器 ‖須恵器
写真‖八木夕菜

船越雅代

器 ‖インドの古い石皿
写真‖八木夕菜

今井義浩monk)

器 ‖陶片、棚板 陶板
写真‖八木夕菜