種を蒔く料理今井義浩

福島地かぼちゃ

岩崎さんが福島県のおばあちゃんから託されたという福島地かぼちゃ。
遠い長崎の地で発芽し、気候も土壌も全く違う土地で新たに根付き、種を残し、生を重ねている。そしてこの種が福島を離れている間に彼の地で起こった2011年の出来事。いつか種を福島に帰したいという岩崎さんの思い。
野菜の歴史と人の歴史。料理する一つのかぼちゃが、その交差する点そのものであることを実感します。

綺麗な甘さの、素直なかぼちゃらしい味わい。薪窯でゆっくりと丸焼きにしました。添えるソースは牛乳を煮詰め、塩で味を整えただけもの。真っ白いソースとそのピュアな味わいに、希望や祈りのようなものを僕は感じています。

器は小谷田潤さん。monkではもう8年ほど、メインを張ってくれているお皿です。日々使われ続け、地の色が少し出てきたりして、とても良い風合いになってきました。


料理
今井義浩monk)
小谷田潤
写真
八木夕菜
今井義浩

今井義浩
1982年茨城県生まれ。
エンボカ京都シェフを経て、料理写真集“CIRCLE”を出版。
その後フリーランスの料理人として旅をしながら料理を作る。
2015年末、京都にて自店 “monk” をオープン。
2021年、Phaidon社より“monk: Light and Shadow on the Philosopher’s Path”を出版。

選んだ野菜

福島地かぼちゃ

20数年前に、スローフード運動に携わる方から、“福島の高齢者が育てているミニかぼちゃ”としてほんの1、2個わたされたことが、このかぼちゃと岩崎さんの出会いである。試しに育ててみたところ、着果数は少なく、数が非常に少ししか収穫できない。加えて小さいことから、味は美味しいが、農家として栽培を続けることは難しい、と以来育成をやめていたそうだ。その効率の悪さを考えれば、おそらく、あくまで家庭菜園や自家自給のためであって、プロ農家が育てることはほぼなかったのであろう。
 ところが2011年、東日本大震災が起こる。
 そしてその後、福島の方から、このかぼちゃのその後を尋ねられたこともあり、岩崎さんは、再び、この「効率の悪い」かぼちゃをなんとかして育て続けている。「収量がこれだけ少ないとは、典型的に消滅しやすい系統のかぼちゃ」であり、福島でまだ誰かが守り続けているという話は今のところ耳に入っていない。しかし味は美味しく、形も小ぶりなことは、現代の家庭には喜ばれやすい。

 丹念に種をとるうちに、少しずつ、着果数は増え、わずかに収量は増えてきた。しかしそれでも、一般的、近年の品種改良されたミニかぼちゃに比べれば、その3分の1、5分の1の量しか収穫できない。趣味ではなくプロとして育てる農家にとっては非常に農家泣かせのかぼちゃである。
しかしいい意味で洋種らしい甘味の強い美味しさもあり、家庭で喜ばれやすいのは確かであり、また福島での事故を思えば、なんとかして残していかねばとも思う。非常に悩むかぼちゃである、と岩崎さんは言う。しかし、「そもそも現代の種が、多く採れるように改良されすぎたかもしれないとも考えられ、本来はこの程度の収穫数が、かぼちゃの自然な数かもしれないとも思う。」との岩崎さんの視点にはハッとさせられる。


在来種のかぼちゃについて

温暖化の悪影響を最も受けるのではないかと危惧されるのが、このような在来種、固定種のかぼちゃ達である。品種改良された現代の種に比べると、着果数が極端に少なく、利益率は非常に低く効率が悪い。さらに、近年のような豪雨と温暖化が続けば、ただでさえ少ない着果がさらに着果しづらく、かつ着果した後も腐りやすくなってしまう。まさに滅びようとしている在来種の種を受け継がれているかぼちゃ達である。
 在来種のかぼちゃは、大きいものも多く、現代の家庭では扱いにくい、流通上も重たく歓迎されないのも弱点である。

だからこそ、これら在来種かぼちゃを守っていることは、一層評価されるべきではないであろうか。そのきめ細やかな肌質やみずみずしさ、繊細な美味しさ、独特の造形と個性はなんとも魅力的である。

在来かぼちゃ(日本かぼちゃ)の原産地には諸説あるが、北米南部・中米原産説が有力である。ヨーロッパを経由して東南アジアに広まったものを、日本へは16世紀にポルトガル船によって九州に伝えられたという。「かぼちゃ」の名は、途中寄港したカンボジアからもたらされたことはよく知られている。

(文…奥津典子)

種を蒔く料理