種を蒔く料理平田明珠

夏に岩崎さんの畑に伺った時に頂いた諫早瓜、初めて見る野菜。どうやって食べるのか、どういう料理にするものなのか、まったく想像がつかない。
まずはそのまま食べてみる。とても美味しい。後に残らない甘さと優しい瓜の香り、いくらでも食べられる。
諫早瓜を美味しく食べるにはそのまま食べればいいのは分かった。でも料理を生業とする僕はこの食材を使っていろいろやってみたくなってしまう。
せっかく雲仙にいるのだから、雲仙の食材だけでやってみる。

糖度の高い諫早瓜は保水性が高いため、合わせる食材の水分量には気をつけないと味わいが間延びしてしまう。
朝取れのハガツオの身を脱水し水分を抜き、タネトにあった梅干しを細かく刻んで、岩崎さんから頂いた西瓜をジャムにして一緒に加える。
このハガツオのタルタルをくり抜いた諫早瓜の中に盛り込み、野草のスベリヒユ、近くで採れたクレソンを乗せ、千々石産のオリーブの葉っぱのパウダーをかけて完成。

諫早瓜の甘さと青い香りから始まり、脂の乗ったカツオの旨味、スイカのジャムの甘さ、梅干しの酸味、野草の食感と辛み、オリーブの葉っぱの苦味、そしてまた諫早瓜の甘さと香りで着地。
雲仙に滞在した期間のいろんな出会いや経験が頭の中をよぎる。

在来種の野菜はそのまま食べて美味しいものもあるけれど、その土地の他の食材と合わせることで味わいの深さは何倍にも増すと思う。
産地にいかないとわからないことは多いし、その場所で料理をすることで新たな気づきが生まれた。

岩崎さんの蒔いた種は僕自身にも受け継がれ、料理となって花を咲かせた。
この美しい循環の輪に加われたことが、とても嬉しい。


料理
平田明珠Villa della Pace)
石田誠
写真
栗田萌瑛
平田明珠

平田明珠
1986年、東京都生まれ。大学卒業後に料理の道へ進む。都内のイタリア料理店勤務の後、食材を探しに訪れた能登半島に惹かれ2016年に七尾市に移住、レストラン「Villa della pace」をオープン。2020年、七尾市中島町の塩津海水浴場跡地へ移転、宿泊施設を併設したオーベルジュとしてリニューアルオープン。 ミシュランガイド北陸2021特別版において、一つ星、ミシュラングリーンスターを獲得。

選んだ野菜

諫早瓜

小さいが特に畑ではその香が素晴らしい。4、5年前からの栽培と、岩崎農園での歴史ではそれほど長くない。
 しかし、長崎県、あるいは九州の食文化、食体系の一端を深く伝える貴重な存在である。それを理解するには、九州独特の暑さや土地柄、そして電気に頼り過ぎていなかった時代の暮らしを踏まえなければならない。あるいは、もしかしたらこの途絶えつつあり、現代人が気にも止めない「うり」という存在が、猛暑をしのぐ多くの知恵を内包しているのかもしれないのである。
 暑い日も、厳しい寒風に晒される日も、雲仙の露地畑で膨大な農作業を続けてきた身体を持つ岩崎さんの「うり」への想いは深い。以下、それを記す

 岩崎さんの住む部落では(注:「町」よりもっと細かな地域集落の呼び方)、岩崎さんが子供の頃は、多くのうりが栽培されていた。部落ごとに異なる種類であり、岩崎さんの部落では「おちうり」。地域での呼称は「おてうり」。(以下本項では「おてうり」と表す)。本州や各地の「落瓜」とは異なる。その一つ隣の部落では「出雲メロン」と呼ばれた、まくわうりとメロンの間のような風味の瓜が育てられていたという。「あれも肉質は固かったけど美味しかった」。 雲仙市の小さな吾妻町で、さらに細やかに部落ごとの特産があった。日本の土地柄の複雑さと多様性を鮮やかに示す。例えば米国は、同じような土地がどこまでも長く広く続くことが少なくない。それと全く異なる日本は、面積で表せば小さいが、ある意味で非常に広いのだと思う。わずかな距離でガラリと風土や土地柄や作物が変わる。その事実が地域の昔ながらの農作物からは、くっきりと浮かび上がってくる。

 さて、岩崎さんの部落の「おてうり」。
 ともかくも香が良く、特に「栽培している畑に、ぱーっと広がる」その芳香は素晴らしかった。しかしいつの間にか、育てる人がいなくなり、気づいたときには無くなっていたという。子どもの頃の、あの豊かで魅力的な香の思い出が忘れられなくて、消滅に気づいた岩崎さんは、「おてうり」の種がどこかにないかと探し始めた。もう一度あの瓜を食べたい、育ててみたいと思ったのだ。長年探し続けて、早いもので、実に40年近くたった。その間さまざまな人が、これではないか、これはどうかと色々な瓜とその種を持ってきてくれ、あるいは出かけた先で出会った。五島うり、本田うり、あるいは日本の元種である中国の原種を探してはどうか…。勿論岩崎さんであるから単に食してみるだけでなく、実際にこの土地で種を撒いてわざわざ育ててもみた。しかし結局、どれも違ったのだ。一度失われた種を取り戻すことの難しさ。「もうないんだな、やっぱりもう日本には…諦めないといけないのかなって思ってる」と岩崎さんは明るく話す。

 そんな風に諦め出した近年、隣の農家の方が「おばあちゃんにもらったとさ」と分けてくれたのが諫早うり。二つもらって食べてみると、小さな小さな瓜だが、とても美味しい。愛着を感じた岩崎さんは、それから育てることにした。小さいが数は多く育つという。「子沢山さね」と岩崎さんは笑う。しかし、育て方自体はまだ試行錯誤中だそうだ。メロンに近いような甘味があるため、露地で栽培するのはなかなか難しいという。

 今や「うり」はすっかり不人気で、「メロン」にとって変わられてしまった。今の子供たちや若者には、「うり」は食べたことも見たこともないという人も少なくないだろう。「甘いこと」が市場での農作物の価値である現代社会では、とにかく甘さを強める農法が重視され、甘い果物が高く売れる。さりげない甘さを持つ「うり」は見向きもされない。あるいは安くて労働に見合わない。実際、岩崎さんが、県内のある在来種の試食会で香も素晴らしい「本田うり」を出してみたところ、「こんなまずいものは…」と大不評だったという。「甘さ」が価値なのである。そしてそれを、冷蔵庫でキンキンに冷やして食べるのが現代である。ちなみに冷たさは、人が感知できる甘さを実際より小さくする。

 しかし、あまりの暑さに主食や食事が喉を通らないとき、岩崎さんをはじめ、農作業や屋外での激しい労働に精を出す人々にとって、井戸や清流で冷やした瓜は、甘過ぎず、みずみずしく、大変に美味しく貴重なエネルギー源であった。その魅力は炎天下で汗したことがある人間なら誰でも想像がつくだろう。これがスイカでは食事がわりにならない。メロンでは甘過ぎて、喉を通りにくいし、量も食べられない。多く食べると糖分でぼーっとしたり胃が参ってしまいそうだ。けれど、美味しいウリであれば、4、5個と食べられ、かつお腹がいっぱいになり、水分の吸収もよく、甘過ぎず、糖分のとりすぎの危険性もない。消化も早い。おやつとしても食べられる。言ってみれば、天然の香豊かな素晴らしいスポーツドリンクとして人々の体温調整、健康と労働を支えてきたのだろう。

 長崎県では黄色いマクワウリも馴染みが深い。味はそれほどでもないが、お盆や精霊流し、あるいはお仏壇へのお供物、飾り物として欠かせない。長崎の農家は八月十五日の前までに必ず育ててきた。大変に育てやすく、あの黄色の皮のおかげで、夏の強い日差しにも負けない。いわば「天然の保護色」と岩崎さん。「マクワウリだからできるのであって、あれがメロンなら、8月のこの暑さは、とてもこの辺りではできない」。そんなマクワウリも、しかし少しずつなくなりつつある。「マクワウリは深い」岩崎さんのさりげない一言が大きい。

(文…奥津典子)

種を蒔く料理