みずから

ヒトト閉店記念 大橋弘写真展
Ohashi Hiroshi × ORGANIC BASE

ビルの取り壊しに伴い、吉祥寺ヒトトは2016年1月31日に閉店します。最後の企画展は大𣘺弘さんの写真展「みずから」。大𣘺さんが 40 年撮り続けてきた美しい苔の写真と共に、このビルの最期を迎えたいと思います。苔むす、という言葉もあります。戦後の吉祥寺の変化を静かに見守ってきたこのビル。今まで訪れてくださった全ての方の記憶が、想いが、その振動が、永く永く残っていきますように。祈りを込めて。皆様のお越し心からお待ちしております。

店主 奥津爾

「ヒトト閉店にあたって」

Infomation

期 間│2016年1月7日[木]̶─1月31日[日]
時 間│12時─22時
会 場│食堂 ヒトト
会期中 火曜日休み
水曜日は展示のみ 17時まで

Profile

大橋 弘おおはし・ひろし

かつてインテリアデザイナーを目指して工業高校の木材工芸科に在籍していた頃、友達と奥多摩に写真を撮りに行った。そのとき私が撮った写真を、友達が知らぬまにコンテストに応募し、たまたま入選してしまった。それが根拠のない自信になったか、写真の面白さに味をしめ、東京綜合写真専門学校に進んだ。卒業後は無謀にも初めからフリーランス(フリーター)。アルバイトして金を貯めては、カメラをもって旅に出る。金が尽きると、東京に舞い戻ってアルバイト、そして旅。その繰り返し。楽しい良い時代だった。

26歳のとき、遠藤周作の『沈黙』の舞台、島原半島口之津に行こうと思い立ち、友達3人とスーパーカブで長崎へ出発。長崎の大浦日ノ出町に家を借り、1か月間長崎中を走り回って、いよいよお金が尽きた。カメラを質に入れ、東京にもどるお金もなく、見つけたアルバイト先が炭坑の島、閉山を1年半後にひかえた軍艦島だった。6ヶ月間構外作業員として働いた。都会育ちには、背骨がきしむほどの重労働だったが、体力だけは自信があった。あやうく主任になるところで島を去った。今思うと、面白すぎる体験をいっぱいした。

その後もしばらくはアルバイトしつつ、雑誌の写真の仕事をした。

雑誌の連載で日本の伝統食を月2回8年間190ヶ所ほど巡ったり、伝統工芸の職人さんを訪ねたり。20年ほど前から歩き始めた、日本の「鍛冶屋巡り」は120カ所を越えて連載中。鍛冶屋を訪ねる時は、いまも心が躍る。職人さんのリアリティには、うむをいわせないものがある。ライフワークでは苔の写真を撮り続けて、いつのまにか40年。いまは八ヶ岳に通っている。写真を撮ることが、年々楽しくなる、今日この頃です。

写真集
「MOSS COSMOS 苔の宇宙」「1972青春軍艦島」「FRACTAL」

写真展
「和紙の町小川町」「MOSS COSMOS 」「PLANTA」
「里芋畑」「1972青春軍艦島」「森の時間」「FRACTAL」

著書
「日本の手仕事」「極上食材図艦」「長寿の国日本の伝統食」
「日本の正しい調味料」「野山で生まれた暮らしの道具」「日本鍛冶紀行」